哲学ってなんの役に立つんでしょうか。答えはいろいろあるでしょうが、私は「物事を考えるために役立つ」のだと思っています。

そのことが、『自分の頭で考えたい人のための15分間哲学教室』を読むとよくわかります。


よく「自分の頭で考えよう」といわれます。

ですが、一から自分の頭で考えるのはとても大変なものです。

そんなとき、過去の偉大な哲学者たちの思考法が役に立つのです。


最近、「ウクライナ折り鶴論争」というものを耳にします。

ウクライナに、平和への思いを込めた折り鶴を送ることの是非について、ネットが盛り上がっているのです。

この議論の発端になったニュースは「ウクライナ大使館へ千羽鶴を送る」というものでしたが、いつのまにか伝言ゲームで話がすり替わり、「戦地のウクライナに役にも立たないものを送ってどうするのか」などと批判を浴びることになってしまいました。


ここでは一般論として、戦地や被災地のような「折り鶴を送られても処分に困るかもしれない場所」に折り鶴を送る行為について考えてみます。

「千羽鶴を折った側は一生懸命気持ちを込めて折ったんだから、批判するべきではない」という意見が一方であります。

『自分の頭で考えたい人のための15分間哲学教室』17章「そんなつもりじゃなかった」を読むと、カントがこれと同じような主張をしていたことがわかります。

カントによれば、その意図が善であるかぎり、行為の結果は重要ではない。

もし誰かが溺れている人を助けようとして川に飛び込んだとする。彼が実際に溺れている人を救えたかどうかにかかわらず、その行為は称賛に値するだろう。だから、たとえうまくいかなくても、善意から出た行為には意味があるという考え方だ。

かんたんに言うと、カントは「良かれと思ってやったことだからいいんだ」と主張しているわけですね。

カント哲学では動機が大事なので、結果がどうあれ善意にもとづく行動はいい行動なのです。


でも、この考えにも不十分な点があります。

いくら善意から出た行動でも、結果を問わなくていいのでしょうか?

ここで、意図を重視するカントとは反対の考え方が出てきます。

これが帰結主義です。

帰結主義の立場からすれば、折り鶴を送られた相手が喜ぶか、迷惑に思うかという結果が大事なのです。

この立場のほうが、現代の私たちには公平に思えます。

でもこちらにも問題があります。この本に書いてあるとおり、「そもそもなんらかの行為の結果というものは、必ずしも予測可能ではない」からです。


折り鶴を送ることにしても、相手が喜ぶかどうかなんて、本当のところはわかりません。

東日本大震災のときは折り鶴が大量に送られてきて困ったというニュースも流れましたが、感謝している人もいたのです。

人の個性も感性も千差万別なのに、「自分なら送られても迷惑だから」という理由で折り鶴を送る人を批判するのは、正しくないのかもしれません。

https://twitter.com/tanidozu/status/1517844394275049474?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1517844394275049474%7Ctwgr%5E%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Fbyline%2Ftokurikimotohiko%2F20220425-00292989

ちなみに、「おむすびチャンネル」ではウクライナの方々に直接折り鶴を渡するイベントが配信されていますが、ここでは折り鶴は感謝されています。

これはカントの立場からも帰結主義の立場からも称賛される行為といえるでしょう。


カントの考えと帰結主義のどちらが正しいのか?

両者を折衷して取り入れるべきなのか?

はっきりとした答えがこの本に書いてあるわけではありません。

ですが、物事の是非を考えるうえでどんな考え方があるのか、を学べば、自分で答えを出す助けになります。

過去の哲学者の思考に学ぶことで、脳の筋肉が鍛えられ、思考力が強くなるのです。


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