電子版累計10000部突破のロングセラー!仏教の「ヤバさ」、仏教の核心とは何か?そして、仏教の実践でいったい何が起こるのか? 遂に、ニー仏こと魚川祐司氏の仏教基本講座が電子書籍に!

仏教とは「ヤバい宗教」である。

これが、「ニー仏」こと魚川祐司さんがこの本で説いていることです。

仏教には、私たち現代日本人の価値観では理解しがたい一面がある、ということです。

なにしろ、初期仏教の経典『スッタニパータ』には「異性とは目も合わせないニートになれ」と書いてあるのです。

これが、ゴータマ・ブッダが説いたことなのです。

仏教にはこうした「世の流れに逆らう部分」がある。ここを絶対にごまかしてはいけない、とニー仏さんはいうのです。


一般的に、仏教には「穏やかで正しい教え」というイメージがあります。

これがまったくの間違いというわけではありません。

事実、仏教は慈悲や利他を説いているし、仏道を学ぶことで穏やかに生きられる人もいるかもしれないのです。

でも、仏教(この本での仏教とは初期仏教のことです)の「ヤバい部分」、つまり生殖と労働を否定しているところから目をそらし、現代人に合う部分だけを切り貼りしてきて、それで本当に仏教を理解したといえるのでしょうか?

この本によれば、仏教の本当に面白いところ、核心部分はこのヤバい部分と表裏一体です。

『だから仏教は面白い!』では、異性も労働も否定する「非人間的な教え」を実践する意味はなんなのか、そこをわかりやすく教えてくれるのです。


人生には楽しいことがたくさんあります。

異性とお金はその楽しみの中でも、大きな部分を占めます。

お金を得るには働かなくてはいけないし、異性を求めるのは本能的欲求。このふたつを追求するのが生きがい、という人は、今でも少なくないでしょう。

ですが、仏教は出家者に対し、このふたつを求めてはいけない、というのです。

これは人生の楽しみそのものを放棄するようなものです。

そんな「非人間的な生き方」をして、代わりに得られるのはなんなのか?ここに仏教の核心があります。


この本によると、ブッダが説いた「非人間的な教え」のめざす境地は「ただ在るだけでfullfilled」

つまり、「今ここに在るだけで満たされているという居住まい方」です。

お金や異性を求めるのとは正反対の在り方ですね。

欲望を満たせば幸せと考えるのではなく、なんの条件付けもなく、今ここで満たされている在り方。

これを仏教では「出世間」と呼んでいます。

ひたすら刺激を求め、欲を追いかける「刺激ジャンキー」の人生から解放された、根源的な満足が、そこにはあるというのです。


それにしても、です。

いくら「今ここに在る」ことができるようになるとしても、異性とお金を捨てるのはあまりにも犠牲が大きくはないでしょうか。

現代日本人の素朴な実感としては、そう思ってしまいます。

ですが、仏教は古代インドの宗教です。

わざわざ「異性と目も合わせないニート」をめざした人々がいる理由は、古代インドの価値観に照らして考えなくてはいけません。

今でもそうですが、古代インドの人々は輪廻転生を信じています。

ニー仏さんに言わせれば、これは「永遠のRPGのレベル上げ」なのです。

いくらがんばって今世でレベルを上げても、いつか勝手に電源が切られ、来世でまたレベル1からはじめることになってしまう。

生きとし生けるものはこれを永遠に繰り返している……というのが、古代インドの生命観なのです。


こんなことばかり繰り返していたら、いい加減この輪廻から抜けたくもなりますよね。

仏教における悟りとは、本来はこの輪廻から解脱することなのです。

厳しい修行をし、「異性と目も合わせないニート」になる動機が、ここに生まれてくるわけです。

永遠に続く生まれ変わりという、罰ゲームのような世界から抜け出せるなら、世に逆らう「ヤバい教え」を実践する気にもなるということですね。

現世的な欲を捨てても、あまりあるメリットが古代インドの仏教にはあったのです。


とはいえ、現代日本を生きる私たちには、「輪廻から抜けられるよ」といわれても、あまりピンとこないかもしれません。

輪廻転生を信じていなければ、人生はこの1回だけ。

喜怒哀楽の喜と楽がそれなりに多ければ、まずまず満足のいく一生だったことになるでしょう。

欲を追求し、ある程度欲を満たせる運や能力に恵まれているなら、なにもわざわざ欲を捨てる必要もなさそうです。

ということは、現代の日本人が初期仏教を学ぶ必要はないのでしょうか?


そうとは限りません。

『だから仏教は面白い!』の6章では、気づきを保つ(=マインドフルネス)によって、「己が己の主人である」生き方に近づいていくことができる、と書かれています。

欲を追求するのも悪くはないのですが、欲=煩悩とは縁、つまり原因や条件によって生じたものにすぎないと仏教では考えます。

欲を追いかけることは煩悩に操られる機械になること、人間のゾンビ化です。

煩悩を自分自身と捉えているうちは、自由にはなれません。

欲望から自由になり、自律的に生きていく──そんな生き方をめざす人にとっては、仏教の教えは大いに参考になることでしょう。

ニー仏さんが言う「金パン教徒(=お金と異性を追いかける生き方)」はもう嫌だ、別のモードで生きたい、と思っている方には、『だから仏教は面白い!』は役立つ本ではないかと思います。


『だから仏教は面白い!』はkindle unlimitedで読み放題です。