資格取得のため、転職のため、キャリアアップのため、多くの社会人が大学や大学院などで学ぶ時代になった。だが、自らの社会的価値や利益を高めるための学びは「虚学」に過ぎない。自己の内面の欲求に即し、生き方そのものを探求する「実学」こそが必要なのである。本書は、「実学」によって自己変革を遂げた4人の具体例を通じ、本当の《学び》とは何かを問いかけた作品である。

何かを学びたい、という心はどこから生まれるのでしょうか。この本で保坂さんは、それは「猛烈な心の渇き」によるものだといいます。人は生きてきて、ある年齢に達したとき、激しい心の渇きを覚え、その渇きを癒すために学び始めるのです。

この本でいう「実学」とは、そうした渇きにこたえる学問のことです。現実の役に立つ学問のことではありません。出世や就職など、現実の利益を得るための学問はこの本では「虚学」とよばれています。


この本では、心の渇きを覚え、人生なかばにして学問に目覚めた人たちを紹介しています。特に引き込まれたのは、最初に紹介されているツルカメコーポレーションの創始者・小島康誉です。小島は若手起業家として事業に打ち込んできましたが、41歳のときインドに旅行し、釈迦の説法地を訪れたとき、なぜか涙が止まらなくなったそうです。

そして彼は、それまで抱いていた心の渇きを満たすため、仏教を学び始めるのです。通信教育を受けながら社長業を続けるうち、学んだことを自分の身体で表現したいと思うにいたります。

そして、小島の話を聞いた仏教学の教授は、「貴方は出家したほうがいい」というのです。アドバイス通り、小島は出家して僧になったのです。


宗教や哲学は、誰にとっても必要な学問というわけではありません。でも小島康誉がそうであるように、これらを必要としている人は確実にいます。そうである以上、こうした学問を「なんの役に立つのか」などというのはおかしなことです。最近、実用の役に立たない文系の学部はなくせ、などという話を耳にします。ですが、「心の渇き」を満たすための学問として需要がある以上、それを教える場は必要だと思います。

保坂さんはこの本の冒頭で、佛教大学のスクーリングの様子について書いています。90分の長い授業なのに、全員が真剣に講義に聞き入っているので、教えるほうも緊張するほどなのです。これほど真摯に学ぶ意志を持っている人たちがいるのですから、この人達のための教育の場はあってしかるべきです。実用のための学問とは異なる、生きる指針としての学問の価値について考えさせられる一冊でした。