哲学とは何か・人間とは何か・自己と他者・道徳とは何か……などのテーマをとりあげ、それぞれのテーマに取り組んだ哲学者とその名著を紹介する本。
ここでは「道徳とは何か」の章について紹介します。
道徳というと「性善説」「性悪説」を思い出す人が多いかと思いますが、どちらが正しいかは簡単には決められません。
萱野さんはどちらかというと性悪説的な考え方をする人で、この本では「性悪説的」なスピノザの考え方を紹介しています。
加うるに、人間は考えられる限りのどんな非行も敢えてするものであるとはいえ、何びともしかし自己の非行を正統化する為に律法を抹殺したり、涜神的な事柄を救いに役立つ永遠の教えとして導入したりはしない。実に人間の本性というものは次のように出来たものであることを我々は見ている。即ち各人(王者たると臣民たるとを問わず)は、何か恥ずべき行いをした場合は、自己の行為を諸々の事情に依って美化し、その行為が正義或いは端正にもとっていないように見えるようにするものである。
人はどんなひどい行いもするが、その行いを正義で正当化しようとする生き物だ、とスピノザは言っていたのですね。
これは一個人から国家指導者まで、全員に当てはまるのではないでしょうか。
たとえ侵略戦争をするときでも、指導者は必ずなんらかの大義名分を並べるものです。
それくらい、人は道徳に縛られる生き物だということです。
この本で、萱野さんは『死刑絶対肯定論』のなかに出てくる強盗殺人犯の様子を紹介します。
これらの人々の多くは身勝手なものであり、とても肯定できないものなのですが、それでも当人なりに自分を正統化し、被害者に非があるかのように言い立てるのです。
それほどまでに、道徳は深いところまで人を拘束しているのです。
だとすれば、この拘束力を利用することで、人が犯罪を犯さないようコントロールするしかないのでしょうか?
犯罪者だけを見て「人間の本質とは何か」を考えるのは間違っているかもしれませんが、犯罪という行為にある種の「人間らしさ」が出るのも事実です。
多くの犯罪者の言動を見るかぎり、スピノザの洞察はきわめて鋭いものだったといわざるを得ません。
人間の本質とは、道徳とはなんなのか。ここを考えるうえで、スピノザの著作は今でも読まれる価値があるのではないでしょうか。
この『名著ではじめる哲学入門』は、スピノザの著作へのよき案内役になってくれていると思います。
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